目次12月号
巻頭言 「 バラの花 」
すずか路
・小休止
・柳論自論
リレー鑑賞
・ひとくぎり
・例会
・例会風景
・没句転生
・インターネット句会
特別室
・アラレの小部屋
・前号印象吟散歩
誌上互選
・ポストイン
・お便り拝受
・編集後記

 


たかこ
整理  柳歩

柳歩
鈴木 章照
たかこ


柳歩

清水信
橋倉久美子
柳歩



 
バックナンバー
20年 11月(181号)
20年 10月(180号)
20年 9月(179号)
20年 8月(176号)
20年 7月(175号)
20年 6月(174号)
20年 5月(173号)
20年 4月(172号)
20年 3月(171号)

20年 2月(170号)
20年 1月(169号)
以前のバックナンバー









 

巻頭言


 バラの花

 何年か前、三〇号のキャンバスにどこかのお屋敷の写真を見て「バラのアーチ」を描いたことがある。アーチにはミニバラがびっしり、アーチの先には大輪のバラ園があった。バラは色とりどりで楽しく描いていくことが出来そうだと思った。何色も絵の具を出して、点々と色を重ねていった。すると先生が私の絵を見て、
「比較的大きなバラは、花びらを一枚ずつ描くように」とおっしゃった。

 根からアバウトな私は、適当に色を重ねていけば、バラに見えるように描ける自信があった。だが、それは間違いであった。

 最終的に崩すにしても、花は花びらの枚数や形をごまかしてはいけない。抽象画はほとんど描かないが(描けない)崩した絵を描くには、きちんとデッサンをした絵をデフォルメさせることが、より深みのある絵になることを学んだ。

 川柳にも、これに似たことが言えるのではないかと最近思う。破調の句は、得てして何が言いたいかわからない句が多く、ただ定型を守る必要性をあまり考えてないだけの気がしていた。考えて推敲して、それでも破調になってしまった句は、言いたいことが、より凝縮されて、佳句と言えることもあるのではないか、と。
 だが、やはり新人のうちは、指を折ってしっかり定型を守りたい。

フジテレビの目覚ましテレビ、金曜昼の「笑っていいとも」もほとんどが中八である。中八が正しいと思われているとしか思えない。少し前までは、それでも川柳が広まればいいと思っていた、が、今は違う。やはり基礎は大事である。絵もしかり川柳も基礎が出来てこそ、破調も、抽象画もいい味をかもし出すのではないか(筋違いの思い込みかもしれないが…)そう思えるようになってきたのだ。

「巻頭言」は来年から柳歩さんと交代になります。

                                                                                                                                                     たかこ

すずか路より
解説をつけてほしくはない披講 橋倉久美子
今年こそ来年こそを言い飽きる 堤 伴久
笑ったら止まらないから笑わない 鍋島香雪
気合い入れ直す最後のカレンダー 山本鈴花
一度聞いても分からぬ会社から電話 山本 宏
感謝する無事息災の十二月 沢越建志
わたくしの恩人は古ぼけた辞書 くのめぐみ
最後まで父を看取った母の自負 高柳閑雲
医者の指示 ねばならないが多すぎる 鈴木章照
好きな事追うだけでただ満たされる 青砥英規
むつかしい予防注射のタイミング 鶴田美恵子
同じ目線になればメダカも喋りそう 寺前みつる
人柄が災いさえも吹き飛ばす 秋野信子
花時計に風あり今日も待ちぼうけ 水谷一舟
また師走 走り始めたカレンダー 山本喜禄
久しぶり会っても君は知らぬ顔 かとうけいこ
働いて良しと思える給料日 西垣こゆき
欲深が無欲の振りで世を生きる 松岡ふみお
盃を持つ手が荒れて十二月 坂倉広美
セールスをお断りする丁寧語 北田のりこ
思い出して胸のつかえが取れました 高橋まゆみ
オレオレの詐欺の手口が巧妙化 落合文彦
熟睡をしたらし点滴のベッド 鈴木裕子
物忘れ似た人もいてほっとする 浅井美津子
収集車毅然と残す違反ゴミ 加藤吉一
お隣の入院三日過ぎて知る 竹内由起子
勲章を配って祝う文化の日 長谷川健一
柿の種数えて決める明日の運 安田聡子
聞き流す妻の小言も一理ある 瓜生晴男
飛び火する神経痛を追いかける 水野 二
老衰で死んだら泣いてもらえない 吉崎柳歩
後まわしにするから重くなってくる 青砥たかこ
 

整理・柳歩

リレー鑑賞「すずか路を読む」

    
  178号から                                    鈴木 章照

・おじいさんと呼ばれ迂闊に振り返る  山本  宏
 孫が生まれれば「おじいさん」と呼ばれても仕方がない。それも孫からならニコニコ返事は出来る。
 しかしそれ以外の人から呼ばれると面白くないことおびただしい。

・真ん中にすわりにこにこ聞いている  沢越 建志
清濁併せ呑む。度量が大きい。イエスマンとは根本的に違う。こういう人が一人いると大抵のことはまとまりがつく。

 ・柳論自論わたしの説は別にある    鍋島 香雪
自分の自信作が抜けなかったり、そうでもなかった句が抜けたりすると「アレッ?」と思うことがある。
ベテランになればなるほど意見があるに違いない。

・生きて行く為に仮面を付け替える   山本 鈴花
おべんちゃらを使うわけではなく、ご都合主義でもない。嘘も方便だって優しい心遣いのこともある。
たくさん仮面を持っていることこそ才女だ。

・貯まったら急に買う気がしなくなり  山本 喜禄
ある、ある。そういうこと。細かいことはいちいち覚えていないが志なかばでいろんなものに化ける。
いくら化けてもお金は使うためにあるのだから後悔しない。

 ・縦に振り続けた首が痛み出す     坂倉 広美
ごもっとも。ごもっとも。を続けていると自主性がなくなってしまう。アメリカのことなら何でも言うこ
とを聞く政府のようだ。言うべきときはきちんと言わないと舐められてしまう。

・喪服着る前に着た日をふと思う    北田のりこ
この前着たときは確かおじいちゃんだったと思う。あれから何年経ったかなあ。今日着るのは同級生のた
めだ。順番とはいえないこともある。自分が着られる間はまだいい。

・押入れに未練引き摺る荷が増える   浅井美津子
本でもビデオテープでも同じだが、処分しようと思ってもなかなかできない。ましてや身につけるものだ
と、より決断力は鈍る。そういうときはご主人か娘さんに依頼すること。

                             (愛知県在住・鈴鹿川柳会誌友)
 

11月22日(土)例会より
宿題「 構える 」 吉崎柳歩 選と評
  かっこよく構え空振りばかりする 青砥たかこ
  構えないようにジョークを先ず入れる 加藤吉一
 止 構え方もう実力が見抜かれる 橋倉久美子
 軸 ストライクの位置で構える始球式 吉崎柳歩
宿題「 ぽたぽた 」 水野 二 選
  ぽたぽたと落として後をつけられる 橋倉久美子
  涙ぽたり母をだました悔いばかり 水谷一舟
 止 ぽたぽたとゆらいで歩く脂肪過多 坂倉広美
にわか雨ぽたぽた昼寝奪う午後 水野 二
宿題「 ぽたぽた 」 坂倉広美 選
  冷や汗もぽたぽた落ちている自伝 橋倉久美子
  涙ぽたり母をだました悔いばかり 水谷一舟
 止 パッキンの摩耗か 涙もろくなる 吉崎柳歩
ぽたぽたと落とす涙で縛られる 坂倉広美
席題互選「 やっぱり・やはり 」 高点句
 6点 誕生日なのにやっぱり発泡酒 吉崎柳歩
 5点 いたずらの原点やはり好きだから 水谷一舟
  本番であがるやっぱり私の子 吉崎柳歩
 4点 年が明けてもやっぱり同じバスに乗る 坂倉広美
  目をそらすやっぱり後ろめたいのね 青砥たかこ
特別室

田辺聖子と共に(1)                                  清水 信

 春と秋の叙勲は年中行事というだけで、何の興味もないが、2008年度のノーベル賞と文化勲章は、面白くて久しぶりに笑ってしまった。

 ノーベル賞の物理、化学賞に4人も日本人がいたが、賞でも貰わなければ、唯の変なオヤジという印象が良く、研究内容も何故かバカバカしいところがあって、文学的だった。

 文化勲章も、二年続けて、中村晋也と伊藤清で、神戸高校出身者で注目に値いしたし、田辺聖子の受賞も妥当だと思った。由来、文化勲章は、甚しく大衆路線をつっ走っているのであるから。

 田辺聖子の仕事では、小説や源氏物語論よりも、川柳についての著作が一等である。
 とりわけ「古川柳」についての論究が面白いが、これを詳細に語っていくと女性読者に嫌われる可能性があって、難しい。本当は『柳多留』を知らない人とは、川柳の話などしたくないと思っていても、仲々話題にはなりにくい。

 古川柳のわかりにくさについて、田辺は、こう言っている。
「江戸時代の風俗人情、慣習に通じていないと、句意を察することができない」し、また「題材になっている歴史的エピソードや、謡曲、口碑伝説」にしても、そのもととなっているものへの智識がないと、いくら読んでも解らない。

 そういう前説を置いて、彼女の『古川柳おちぼひろい』は始まるのである。
 例として、彼女は、

・やはやはと重みのかかる芥川

 という一句を掲げて、女学生時分、どうしてもこれが解らなかったという。
 色男の在原業平が、恋する深窓の姫である藤原高子をかどわかして芥川まで来た時には、いくら好いた仲とはいえ、背におぶった女の身体の重さと、なさぬ恋の重さが身にしみたという『伊勢物語』の故事にひっかけて、恋というものの運命を描いているのだ。
 それが、中年になって、やっと分かったと彼女は言い、「川柳は絶えず座右に置いて眺めるに適した文芸であり、人生の年輪によって、その分かりかたが異ってくるものだ」と言う。

 人情の機微や、古典の知識は、人生という時間のつみ重ねによって、解ってくるものだと説く。
 それには間違いがないが、人に説明を受けなければ解らぬ文芸(絵画なども、そうだが)というものが、存在として正しいかどうか、という問題になると、困ってしまう。次の句などは、大概の人は、解るだろう。

・麦ばたけさわさわさわと二人逃げ

                                                                                                                     (文芸評論家)清水信

誌上互選より 高点句
前号開票『 天国 』
  8 天国の夢を見ている日向ぼこ 堤 伴久
  生きている今が天国だと思う 青砥たかこ
   天国で弾むチップを貯めている 沢越建志
    食べて寝て今天国の老夫婦 堤 伴久
    これほどの天国はない家の風呂 鈴木裕子
    天国は方向音痴でも行ける 吉崎柳歩
    二次会は天国にするクラス会 沢越建志