目次6月号
巻頭言 「 読み込み不可」
すずか路
・小休止
・柳論自論
リレー鑑賞
・例会
・例会風景
・没句転生
特別室
・アラレの小部屋
・インターネット句会
・前号印象吟散歩
誌上互選
・ポストイン
・お便り拝受
・各地の大会案内
・編集後記

 


たかこ
整理  柳歩

吉崎柳歩
會田規世児
 

柳歩
清水信
橋倉久美子

柳歩


 

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巻頭言


 読み込み不可

  大会の案内を今年も朝日新聞社様が記事にしてくださった。第一回から後援をいただきなにかとお世話になっている。記事にしてもらう前に、毎年何らかの質問をいただく。頭脳明晰な新聞記者さんでも、やはりその道の事細かなことまでは、精通されていないものである。

「事前投句のところに、清記選とありますが、この方の苗字は書かなくていいのですか」
 と聞かれたのは第何回の時だっただろうか。電話だったため、最初質問の意味がわからず、次は説明が不味くて、やっとこう言うことができた。

「清記するんです、人の名前じゃないんですよ」
「ああ、清書ですか。紛らわしいですな」

 やっと納得してもらったときは、手が汗ばんでいたことを思い出す。
 今年は、もっと踏み込んだ質問をいただいた。確認のためと前置きをされて、「席題、というのは「当日発表」されるんですね。「当日発表」が題ではないですよね」
 たしかに、ちらしに「当日発表」と印刷されている。文字のタイプが違うし、まさか間違う人はいないとは思うが…。
「あ、それから、読み込み不可というのは、どういう意味ですか」

 この質問は、記者さんでなくてもときどきもらう。これまで、「とんでもないこと」「うらやましいこと」「恥ずかしいこと」と来て今回四度目「じれったいこと」である。題の言葉を入れないで、その意味の句を作るんですと説明。

「課題」にたいして無頓着なところが多いが、「読み込み」と「読み込み可」「読み込み不可」が違うように「詠み込み」「字結び可」など指示があればそれに従わなくてはならない。川柳は、「題」からして奥の深い文芸なのである。

                                                                                                                               たかこ

 

すずか路より
父の日もハロワークへ行ったきり 萩原典呼
外食をすると忘れる飲み薬 山本喜禄
番犬が福の神まで追い払う 山本 宏
益川くんと呼んでとご本人が言う 鍋島香雪
水着にもスッピンだってなれた旅 山本鈴花
別れ際好きと一言言いそびれ 沢越建志
まるくなったのかあきらめたのか無口 くのめぐみ
なけなしの知恵を絞って句を創る 高柳閑雲
好評分譲中その看板の色が褪せ 鈴木章照
ティータイム夫おろしに花が咲く 加藤峰子
トンネルは長い分だけ楽しめる 青砥英規
長生きをすると思って貯金する 石川きよ子
呆けちゃったなどと言ってるうちは無事 鶴田美恵子
肝心の豚がマスクをしていない 堤 伴久
蜜蜂の仕事にんげんではできぬ 寺前みつる
キーレスの車にバカにいる 秋野信子
火が着いた恋です神も許されよ 水谷一舟
どの尾根も中高年の花ざかり かとうけいこ
老人が野菜好きとは限らない 西垣こゆき
好々爺聞けば外面だけだった 松岡ふみお
名所にはなれない父の墓洗う 坂倉広美
こんな句が抜かれ小さく呼名する 橋倉久美子
打ち明けて急にお腹がすいてくる 北田のりこ
憧れの筋トレマシン初体験 高橋まゆみ
エコバッグないのに気づくレジの前 落合文彦
ようわろたあとのご飯のうまいこと 鈴木裕子
記念碑の謂われ見直す散歩道 浅井美津子
キッチリと明朝体でお詫びする 加藤吉一
菖蒲湯に浸かり独りで深呼吸 長谷川健一
一食はパンで手抜きの主婦でいる 竹内由起子
批判した給付金だが有り難い 水野 二
薫風がみかんの香り連れてくる 安田聡子
重い荷のときだけ僕も頼られる 瓜生晴男
芳しくない成績は忘れよう 吉崎柳歩
今日の役演じるための服選ぶ 青砥たかこ
 

整理・柳歩

リレー鑑賞「すずか路を読む」

    
  184号から                                      會田規世児

すずか路・自選 整理・柳歩に首をかしげながら、読ませていただくことにしました。

子は宝ひとり息子はなおさらに     鍋島 香雪
 
なおさらに の下五の意味の深さに 悩むのは、ひとり息子という限定があってのこと、過保護の功罪を思う。

給付金となり町まで来たそうな     萩原 典呼
 
実感的な表現の、軽さがこの句のすべてで、即座に面白いと共鳴してしまう。

道の駅地酒売り場をまず探す      鈴木 章照
 
この句は、いいとか、うまいとかでなく、正直な人の句である。これでよいのだと思う。

渡すのをためらったチョコ食べている  山本 鈴花
 
渡すはずが、渡せなかった想いの深さが、食べる姿になって、いじらしさを感じた。

不況風こころへさとす忍一字      沢越 建志
 
忍一字を、心に悟すの、さとすが意味深いものとなって伝わる。

二人なら二倍美味しいレストラン    石川きよ子
 
率直な人である。二人だから味も二倍では当たり前。  三倍に四倍にもして欲しいと思った。

脳みそを少し再生出来ないか      鶴田美恵子
 
少しと言う所が、実感なのか、創作なのか、それにしても、誰もが感じ、誰もが共鳴してくれる作品。とくに私などは…。

葬式の最中なのに子の拍手       松岡ふみお
 
常識では考えられないことが起きる。これが事実として、「そんな馬鹿な」では済まされない、句なのかも知れない。

忘れてもよい傘なので連れて行く    北田のりこ
 
持ってゆくことにためらいは無いが、持っていることに、負担を感じるのは私

腕時計今は立派な置時計        青砥 英規
 
立派という言葉で表現する事柄ではないと思うのだが、あえて立派という作者の表現力に、惑わされるものがあった。

 香雪さんをのぞいて、失礼ながら私の知らない人ばかりを、意識して選ばせて頂いたのは、そこにすずかを強く感じたからである。

                                                      (岡崎川柳研究社 主幹 岡崎市在住)

5月23日(土)例会より
宿題「 覚悟 」 吉崎柳歩 選と評
  ちょっとした覚悟で君が代を唄う 坂倉広美
  嫁姑覚悟を決めた方が勝ち 高橋まゆみ
 止 飛ぶたびに覚悟しているパラシュート 西垣こゆき
 軸 おばさんに注意するとき要る覚悟 吉崎柳歩
宿題「 曲がる・曲げる 」 長谷川健一 選
  曲がるのが嫌筍は竹になる 坂倉広美
  曲筆に事実が闇に葬られ 瓜生晴男
 止 針金の意思で盆栽値が上がる 西垣こゆき
曲がる畝トマトは真っ直ぐ育ってる 長谷川健一
宿題「 曲がる・曲げる 」 坂倉広美 選
  面白くするため少し曲げておく 吉崎柳歩
  曲がり角に来たので少し休みます 鈴木裕子
 止 少しだけ曲がってキュウリらしくなる 橋倉久美子
曲がるごとにあけられていく車間距離 坂倉広美
席題互選「 調べる 」 高点句
 6点 メキシコから帰っただけで調べられ 西垣こゆき
  ドック入りするたび病名が増える 橋倉久美子
  調べてもわからないので忘れます 青砥たかこ
 5点 調べると戻れなくなる深い闇 坂倉広美
  前例を調べて過去に縛られる 加藤恵子
  弱点を探すビデオを巻き戻す 吉崎柳歩
特別室

鶴彬続三章(1)                                     

 鶴彬のことを書いてきたが、鶴彬の生涯が映画化されることになったので、その続篇を書きたい。

 『シネ・フロント』という雑誌がある。東京都文京区本郷5・23にあるシネ・フロントから出ている、映画雑誌である。
(1)その365号には、シナリオと神山征二郎監督の「制作ノート」が載っている。(二〇〇九年一月刊)
(2)別冊シネ・フロント37号としてシナリオ「鶴彬・こころの軌跡」が収録され、沢地久枝、池上リョヲマ、樫山文枝等がコメントを載せている。
(3)『シネ・フロント』366号には映画「鶴彬」特集があり、樫山文枝訪問記がある。(二〇〇九年二、三月合併号)

監督の神山征二郎は岐阜出身。新藤兼人監督について修業。映画作品には、『ふるさと』『ハチ公物語』『月光の夏』『郡上一揆』『草の乱』『ラストゲーム―最後の早慶戦』などがあり、著書に『生まれたら戦争だった』という自伝がある。姿勢のいい人である。

私が、ここに連載させてもらっている雑文に「鶴彬」のことを書いていたのは二〇〇八年秋のことであったから、こういう企画は全く知らなかったものの、そんな予感はあった。
 つまり一九〇九年(明治42年)生まれの鶴彬は、二〇〇九年には、生誕百年になり、それを記念して、何かが起るだろうとは、想像がついた。
 因みに、一九〇九年生まれで、今年生誕百年を迎える人は、生きているまどみちお(詩人)を除いては、皆死んだ人ではあるが、実に沢山いる。

太宰治、埴谷雄高、松本清張、大岡昇平、中島敦、花田清輝、中里恒子、長谷川四郎、淀川長治等である。

事実、同年のため意識したであろう、これらの作家の仕事を振り返るため、みえ県民文化祭の小説・評論部会(10月初旬、津総合文化会館)では「百年の文学」というテーマで、これらの作家を語り合う予定である。

早い死ではあったが、鶴彬や中島敦や太宰治に比べると、四十代の半ばで遅れて出発した松本清張や埴谷雄高や長谷川四郎などは、微妙な敵対心に燃えていたろうと思える。

たとえば、戦後日本の闇の部分や、昭和日本の暗黒部を書き続けていた松本清張が、戦時中29歳で他界した川柳人・鶴彬を、どう見つめ、どう思っていたかを考えるだけで、胸がうずくというものだ。

                                                                                                                      (文芸評論家)清水信

誌上互選より 高点句
前号開票『 偉 い 』
 1 2 おふくろは偉いおやじと五十年 福井悦子
 1 0 要するに俺は偉いと言う自伝 吉崎柳歩
   偉そうにしないお方で慕われる 堤 伴久
   8 偉い人らしいあんなに威張るから 西垣こゆき
    腹八分きちんと守り動じない 鈴木章照